
以前、美術の先生が
「自分の気になる石ころや木の葉はずっと捨てずに持っていることだ」と言っていた。
自分の年齢から換算して、”残りどのぐらい制作出来るか”という視点で考える。
制作の経験を踏むから、感覚は研ぎ澄まされるものではなく、どっかで研鑽しなにゃならない。
その”どっかで”の時間を抱えることが困難になるんだな。
そういうときに先述した先生の言葉がなんとなく思い出されます。
何に用いるかなんて人それぞれだけど、ずっともっていれば制作で吐き出すだけじゃなくて、吐き出した分を補充するのかもしれない。
なんてね。
※今回UPしたドローイングはペライ紙のまま、水張りなど面倒なんでしなかったらこんなんになってしまった。
恥ずかしい。
